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世界

2009年8月22日 (土)

グラマン

グラマンと聞いて、あなたなら何を連想するだろうか。
「何それ?」
「自衛隊の戦闘機」
「ロッキード事件」
 グラマンと聞いて、私が思い浮かべるのは太平洋戦争の日本本土空襲。子どものころ耳にした、大人たちの会話の中の東京大空襲。灯火管制、サーチライト、防空壕、焼夷弾、バケツリレー、B29、そしてグラマン。

 母が生まれ育った目黒区洗足の家の2階には、焼夷弾にぶち抜かれた穴を修復した痕があった。詳しい話は知らないが、家は焼けずに残ったのだから不発弾だったのかもしれない。

 そして現在。私の住む町の上空を、時おりUS軍用機や戦闘機が通り過ぎていく。戦闘機は轟音とともに空高く。重たげな軍用機は手を振ればパイロットが応えそうなほど低く、頭上をかすめていく。  「グラマン?・・・」

 家から車で10分ほど走れば基地があり、飛行場がある。関連産業として、グラマンの工場がある。

 70年前も、ここで戦闘機を製作していたのだろうか。
 ここから遥か日本まで行った爆撃機があったのだろうか。
 グラマン社の脇を通り過ぎるたびに、そんなことが心をかすめていく。

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2009年8月17日 (月)

伯父のこと

 時期は失念したが、美輪明宏さんが長崎原爆被爆体験をカミングアウトされたのは近年になってのことだった。そして今年、三宅一生さんが広島原爆被爆者であることを明かされた。7歳のときのことを71歳になって初めて、公の場で語られたのだった。

 時間とともに、社会の中で風化する戦争の記憶。一方、年月を経てなお口を閉ざし、語ることのできない人たちもいる。

 義理の伯父は中国戦線に参戦、ロシア強制収容所抑留体験者だった。私にとっては明るくひょうきんな伯父だったが、戦争体験は一切語らなかった。人並み以上に胃腸が丈夫だったから生き残れた、それくらいが周囲から漏れ聞いた話だった。数少ない生還者には、多くの戦友との記憶が辛過ぎた。  平和な時代が安定して続いても、伯父は大量の缶詰を貯蔵せずにはいられなかった。姪にはそんな顔を見せただけで伯父が逝ってしまってから、もう何年になるだろう。

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2009年7月28日 (火)

変化の年・選択の2か月

タマラさんによると、今年は変化の年、中でもここ2か月ほどが大切だそうです。

http://akanegumoasuhe.blog88.fc2.com/blog-entry-930.html#comment

意識してもいますが、私の中でも何か移行期のように感じています。変えたい、変わりたい、変わるとき。

これまで踏み出せなかったこと、始めてみよう。
小さなことも、大きなことも。

で、人気ブログランキングに参加しました。
おすすめリンクも復活させました。
暮らしの中でどんな風にタマラが活きているか、知ってもらいたいから。

ついでにお小遣い稼ぎの広告も貼っちゃいました。やりたいことがあって、資金を貯めるのだdollar


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2007年10月11日 (木)

きのこ狩り

Kinokonoyama

 

 

 

 

 

 

 

韓国系スーパーで見つけました。